高取町のあらまし
[2023年2月1日]
ID:2011
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美しい田園風景が広がる農村地域ですが、中世には豪族・越智氏が居城を構えていました。越智氏の始祖をまつる「有南神社」と、菩提寺である「光雲寺」は、共に周囲を美しい森に囲まれた心地よい場所。「与楽古墳群周辺地区」としてのまちづくりが今まさに進められています。
6世紀の初めごろ、大和朝廷の都造りのために集められた土佐(現在の高知県)出身者たちが住み着いたと言われる「土佐町」。そのメインストリートである「土佐街道」では、今も飲食店や骨董店、漢方薬局などの商いが行われ、年に一度開催される「城まつり」の日は多くの人で賑わいます。
「日本最強の山城」との呼び声も高い、高取城の城跡が残されています。明治4年(1871)に実施された廃藩置県により廃城となりますが、大きく育った木々と共に時を刻む壮大な石垣から、難攻不落と言われた高取城の存在感を感じることができます。
創建703年と伝えられる、眼病封じのお寺として全国から信仰を集める壷阪寺。山中に広がる境内には、仁王門や本尊の十一面千手観世音菩薩像、三重塔のほか、インドからご招来された高さ20mの「天竺渡来大観音像」などがあり、他寺にはない独自の雰囲気を醸しています。
丹生谷地区には、江戸時代に実在した大和清九郎という人物の逸話が多く残されています。貧困ゆえに荒れた生活を送っていた清九郎は、妻の死をきっかけに信心深くなり、人を助ける孝行人として知られるようになったそうです。菩提寺である因光寺には銅像や資料館も。(要事前予約)
町の中心部、駅や学校施設などと程近い場所に住宅地「グリーンタウン」があります。街に出やすい便利な立地や自然豊かな環境を求めて、多くの若年世帯が移り住んできており、敷地内に2つある公園には、遊びまわる子どもたちの元気な声が毎日響いています。