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壷阪寺

[2016年3月10日]

ID:237

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三重塔の写真

三重塔(国の重要文化財)

静けさと祈りに、出会うひととき

高取城跡から西へ下ったところにある壷阪寺。ここは、大宝三年(七○三年)建立の、古くから観音信仰が盛んに行われた霊場です。平安時代を代表する随筆のひとつ『枕草子』の中で清少納言によって「寺は壷阪、笠置、法輪」と賞賛されるこのお寺は、西国三十三ヶ所めぐりでも六番札所として、今も訪れる人は絶えることがありません。境内にあるのは国の文化財に指定されている礼堂や三十塔、そして天竺渡来の大観音石像。これはインドで壷阪寺が行った社会活動に対し、インド政府より感謝の意を表して贈られた石仏で、延べ八万人の日本とインドの石工によって、四年七ヶ月の歳月をかけて彫りあげられました。この壮大なスケールの観音様は、石像としては世界最大の大きさを誇っています。

大観音石像の写真

大観音石像

やさしさに囲まれて

観音様まで感動させた夫婦の愛 壷坂観音霊験記

沢市とお里の像

時はずっと下って江戸時代。
「妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ…」という浪花節の名文句(おじいちゃんたちの世代はよく知っています。)は、このお話のこと。目の見えぬ夫に尽くす献身的な妻と、世をすね、妻の貞節までもを疑う夫。
明治時代に大ヒットした浄瑠璃「壷坂観音霊験記」の舞台となった壷阪寺には、ご利益を求めて今も多くの人が訪れています。
物語は寛文年間(1661~1673)の頃。そのころ、壷坂山のふもと辺りに座頭の沢市という男が住んでいました。沢市は疱瘡(天然痘)にかかり視力を失い、苦しんでいました。今でこそ予防接種があり、難しい病気ではありませんが、その頃の疱瘡は恐ろしい伝染病でした。この難病にかかった沢市には、お里という美しい女房がいました。
心の優しいお里は、苦しむ夫の身を案じ、朝早くに家を抜け出ると、薄明かりを頼りに険しい参道を登り、「寺詣で」の日々を続けます。ところが沢市は、女房に男ができて浮気をしにいくのではと疑ってしまいます。
情けないやら、悔しいやら、夫の誤解を知ったお里は、あきれ果てて言葉もありません。
芝居ではここで、「エエソリャ胴欲な沢市様・・・三つ違いの兄さんと」の名文句がでるところです。
「あなた、実はこうなんです。」と、霊験あらたかな観音菩薩に願を懸けていたのだと打ち明けます。
「お里、お前という女房は・・・お~きに、お~きに」
妻の愛情と信仰心にほだされた沢市は、お里と共に寺に※参籠(さんろう)します。しかし、開眼の可能性を信じない沢市は、お里の目をぬすみ夜陰にまぎれて、礼堂の傍らの狼谷に身を投げてしまいます。これを知って、お里もまた後を追い渓谷に身を躍らせます。
そのとき、観音菩薩が姿を現し、お里の貞心と信仰心のために夫婦の命を助け、そのうえに沢市の目もまた見えるようにしてくれました。二人は夢かと狂喜します。

涙をさそった上での、このハッピーエンドに観客も納得、大ヒットしました。
壷阪寺には二人が使ったという杖が飾ってあり、それに触れる夫婦はさらに仲が良くなる、といわれています。
※参籠(さんろう)・・・社寺にこもって祈願すること

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